胡蝶の夢の対岸

幕末の或年・旧暦八月二十日、浅田宗伯翁 は老中の命を若年寄より受け、山口駿河守等に伴われて、横浜駐在のフランス公使シュウレー・ミニスートルの診療に向かった。それは、公使が長年の間、戦争に従事したりの、労苦の重責により発した腰脚の痛みが、諸医(西洋医学)の効なく不治の為であった。その人は、陸軍大将であった十八年前に、戦闘の最中、銃弾に当たって倒れた乗馬から落ち、それより発病したものといわれた。

宗伯翁はこのとき、同僚の鍼医和田氏の協力のもとに、漢方薬「桂枝、芍薬、蒼朮、茯苓、附子、甘草、大棗」を処方し、その煎剤を投与した。その結果、公使の病症は次第に改善したので、四日後の二十四日、公使に別れを告げて江戸へ帰った。別れに当たってフランス公使は、翁の手を握って、「(僅かな間に)病苦が半減して喜べに耐えない。(お礼のもうし様もないが)謝礼については本国のフランス王からお贈りするが、自分としては此の恩返しに、この治験をフランスの新聞に掲載させて、日本にかかる名医のあることを五大洲に知らせることにする」と言った。

後日、公使の言った通り、フランス国より翁に、時鳴鐘(置き時計?)とダラ二三巻(本草書?)を贈ったといって来た。しかし、その品は、幕府の役人の手に入ったようだが、自分には銀十錠だけが与えられた と、宗伯翁 がその著『橘窓書影』に記している。

以上の治験は、衆知のことと思うが、改めて記載した。『橘窓書影』にはまた、次のような記述もあるから。

「川路左衛門聖謨(としあきら)(幕末の名吏)の妻が、長年頭痛を患っていた。発症すると薄い胃液を吐き、薬も食事もとれない状態が三四日続き、あと自然に平止する、(偏頭痛発作か?)。青木春岱と伊藤玄朴(西洋医)が交互に治療したが治らないので自分が頼まれて診察し、濁飲上逆(胃内停水の上逆)の頭痛として、当帰四逆加呉茱萸生姜湯と半硫丸を兼用して、長年の病から免れた」と。

また、「天璋院(前将軍夫人)の中年寄(高級官女)歌川が、下腹部に塊りがあって時々激痛を発し、胸へつき上げ、寒熱往来、(悪寒、発熱の去来)し、舌苔あり便秘した。

松本良順(西洋医)が、外感として脚湯をして水薬を投与した処、その夜悪化激症となり悪寒戦慄を発した。翌日、自分が頼まれて診察し、大柴胡湯加茴香甘草を投与したところ大便が通じ、熱と痛が大分減退した。そこで患者は無理して出勤したところ、退出したあと奔豚(激しい動悸)を発したが、金匱奔豚湯で鎮静した。その後、当帰四逆加呉茱萸生姜湯にして、消石大円(下剤)を兼用したところ、数旬(数十日)で下腹の塊が消失し、痛みは再発しなくなった。以来天璋院様が居られる二の丸では、担当医の静春院(戸塚静海)、伊藤瑤川院(伊藤玄朴)、松本良順などの西洋医の治療で治らない後宮(女官)の患者の治療は、皆、自分が頼まれるようになった」と。

宗伯翁がフランス公使に処方した漢方薬の組み合わせは、桂枝加苓朮附湯で、漢方を学んだら知らぬ者もない一般的な処方剤である。当帰四逆加呉茱萸生姜湯にしても同じである。ということは、宗伯翁がすぐれた名医であったことは言うまでもないが、秘薬でない漢方薬がこれ程効くということでもある。

有名な司馬遼太郎氏は、小説『胡蝶の夢(松本順良伝)』で、福知治兵衛(長崎の人)に「唐土の漢方、唐薬で日本に伝わっていないものもある・・・唐土はひろく人が多く、意外な医方、医薬がある。しかしそれらは、それを持つ医家が秘伝として子孫にのみ伝えて決して公開しない」といわせ、主人公松本良順に「漢方はくだらぬ」と言わせている。
司馬氏程の博識な大家でも、漢方の真の姿が見えなかった。残念なことだ。

1998-6月

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