山田光胤独り言
谷口書店月刊漢方療法より転載
山田光胤
大正13年3月9日生まれ
小学低学年時代に発病した難病が治らず、何度も命の瀬戸際に立ったが、昭和漢方復興の祖、大塚敬節の治療により助けられる。
昭和21年医学部入学後すぐに大塚敬節に師事。
昭和32年、日本最初の漢方施設、中将湯ビル診療所(現金匱会診療所)開設時に医師団に加わって以来漢方一筋に50余年。昭和平成の漢方医学発展のために尽くす。
漢方専門の名医をめざす多くの医師が師事し現在全国で活躍している。
当診療所は山田光胤が日本最初の保険適応の漢方専門診療所として昭和56年に開設した財団法人日本漢方医学研究所附属渋谷診療所を平成22年9月から引き継いで診療を行っている。
高齢のため初診の診療はしていないが、当診療所の医師団は全て山田光胤門下の高弟で構成されている。
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